mifuyun’s 障がいのある子を育てるDays

ちょっと聞いたことがない遺伝子疾患がある娘P子を育てる日々のDiary

2023夏休み、P子と日光小旅行と今後の為の覚書②

~①から続く

 

東武日光駅から世界遺産めぐりバスに乗って8分、神橋駅で降りて、

本宮カフェへ。

山中にある古民家風の建物、さり気ないお花の設え、コージーな家具がゆったり置かれ、エアコンがなくても涼しい風が通り抜ける素敵なお店。

P子はサンドイッチとアイスティ、私はクラムチャウダートーストとアイスコーヒーを注文(パンは金谷ホテルのものを使っているそう)。

 

くつろぎながらも、

お約束の、食事どきの声かけはママは忘れない。

「口に詰め込みすぎないように」「こぼすから、お皿の上で食べなさい」と、何度も言うと、P子はそれにより行動をちょっと修正します。

(はたから見ると、幼児でもない大きい子に注意しすぎの風景に見えるはず)

P子の今年のお気に入りの、トップスの白Tシャツを汚さずに、気持ちよく完食できたので、まずは一安心であります。

 

日光東照宮までは、栃木の太陽がカンカン照りつける中、ひたすら歩くのみ。

今のP子は、「もう歩くのやめていい?」とか文句を言うけれど、小学生の頃のように、むやみと立ち止まったり、遅くなりすぎたりすることもなく、しっかり歩いてくれます。

東照宮では、三猿(エピソードの立て札も全部読み込んでいたね!)や陽明門、眠り猫、奥宮までの207段の階段を上り(先天的な片目盲で奥行き知覚が難しいP子には、灰色ワントーンのあの石階段は難しく、手を繋いでゆっくり降りたのもいい思い出)、最後に鳴き龍も楽しんできました。

恋愛運に興味津々でおみくじしたがるのを「ママ、小銭がないの…」とスルーするも、P子との二人旅で変な達成感と高揚感があるがゆえ財布のひもが緩み、御守りを6000円分も購入してしまいました。

 

東照宮を後にし、バスと電車二つを乗り継いで、有名なH屋リゾート系の、素敵なお宿に到着。

P子も広いお部屋に大喜び。

後は、くつろぐだけ…といきたいところですが、温泉に一緒に行くというのが、最後の気の遣いどころ。

 

お風呂も、今は自立している体ではあるのですが、ブースで自身を洗いながら、チラチラ横を見ると、あれれ?

こちらは髪も洗い終わり、体を洗い始めようかという段階で、一方、P子はまだ洗髪前のシャワーで流している段階。しかも頭全体ではなく、気持ちよさそうに傾けた頭のごく一か所しかアタッテナイヨ!という状態。

声かけ開始。

~シャワーは頭全部にかけないと、髪が十分お湯を含まなくなるから、シャンプーが泡立たないよ、頭の後ろにシャンプーついていないよ、シャンプーは毛先じゃなく頭皮を洗うんだよ、シャワー全部に当てないと泡が残っているよ、などなど~

我ながら、小言ばばあですね。

動いてはいても、タスクへの意識が入っていないP子に、つい細かく指摘してしまいます。言われるたびに、少しむくれますが、一応気にはし始めるP子。

 

時々、頭の頭頂部をかいてしまい赤くなりがちなのも気になっていたのですが、

この様子からすると、毎日シャンプーしていても、すべての頭部は洗われておらず、いい加減なことも多いのでしょうね…。

小学生の時に、何度も何度も手順を教えてきて、その時はできるようになって、一緒にお風呂は入らなくなったけれど。

きっと、いつのまにか、それらの手順はいい加減になり、ぼーっとしながら、一つ一つの手順・タスクへの意識を抜きながら、さーーっと洗っているみたいな行動をする毎日だったのかもしれない、と認識を新たにしました。

日常生活に、手順遵守はやりすぎだし、テキトーでもいいんだけれど、手順崩壊度が人より大きく、また、(最近いい加減洗いだったから、今日はちゃんと洗おう)みたいに自分でリカバリーバランスを取ることができないP子には、やっぱり、たまーに一緒にお風呂に入ってチェックしてあげることも身体の健康のためにも必要なのかな、と思いました。

 

要は、季節ごとに1回ぐらい、一緒に温泉行けるといいな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023夏休み、P子と日光小旅行と今後の為の覚書①

うちは、4人家族(父、母、P子、P子弟=A太君)。

A太君が中学1年生となり、今夏は部活が忙しく、【母とP子が先に電車で日光へ出発、昼間に日光東照宮観光、夕方に父が部活終わりのA太君を車でピックアップして夜にお宿で合流する】という旅をすることになりました!

 

スタバで、P子はストロベリーフラペチーノ、私はほうじ茶ティーラテを買い込み、スペーシア日光という特急列車にいざ乗車。広々とした快適シートで、P子は寝に入り、私は読書ざんまい。すっかり寛いでしまい…

終点の東武日光駅に到着する5分前、P子が「トイレに行きたい」と。

「もうすぐ東武日光駅に着くから、早めに出てくるんだよ」「ママはさっきトイレに行ったけど、和式と洋式があって、和式だったらやめた方がいいよ。すぐ駅に着くからそこで入ればいいから」と、いつも通り予測される心配ポイントを先に声かけしておきました。

ところが、なかなかトイレから帰ってこない。

他の乗客がすべて降りてしまい、車掌さんが車両確認に回ってきているのに、トイレから出てこない。入ってから、すでに15分くらいは経っている状況。

焦る、焦る💦

トイレ前まで荷物を持って行って、1つだけの閉まっているドアをどんどん叩いて、「P子、もう駅に着いているよ!」と出るよう促しました。

やっと出てきたP子、しょぼんとした顔でまだスカートの飾りベルトの処理途中…(;´д`)

どうも、はいてきたお気に入りのスカートがスカパン(スカートにアンダーパンツ一体型)で、飾りベルトもあり、脱ぎはきにちょっと時間がかかるタイプ。

その上、言っておいたにも関わらず、空いていた和式トイレに入ってしまい、やはり手間取ったらしい。電車が止まったのに、終点に着いたことは全然気づいていなかったらしい。

 

はあー後悔😢

お気に入りのスカート、日常では特にトラブルを感じなかったけど、念には念を入れてワンピースにさせればよかった…

和式トイレはやめた方がいいこと、もっと強調すればよかった…

 

長すぎるトイレ時間問題は、忘れがちですが、かなり厄介です。

今は自立してトイレができる体であるから、一緒に身体障がい者用の大きいトイレに入ることもなく、万全のサポート体制を取るのを忘れがちですが、外出先では頻繁に起こり、一緒にいる家族はとても心配、またはイライラする問題です。初めてのトイレのロックやボタンに対応するのに多少手間取るのはもちろん、トイレの個室空間はおそらく気を抜いてぼーっとしやすくなる(時間経過に無頓着なためかなり長くなる)のが主な要因です。

トイレがなさそうな場所で、おまたに手を当てて急にトイレ行きたくなる問題も、以前はよく起こっていましたが、それは自分自身でも困ると思うからか、外出先で水分摂取を控えるという対応を自ら学習・実行するようになりました。ただ、連続真夏日の今時期は、熱中症一歩手前の状態にりやすく、ぼーっとするのが加速するという悪循環。

 

結局、円滑に旅行をするためには、水分摂取もトイレへの適宜促しも、そばにいる私が声かけして調節し続ける、境界知能+発達障害と言われる高1のP子のリアル。

旅行中、適切にトイレに行くという行動も、(どれぐらいトイレがしたいか)自身の体の状態を把握し、(一般常識的に付近にトイレがありそうな場所)外界の状況を適切に察知し、また旅行の行程を頭に入れておける、そんないろいろな認知の力が必要なのね…と深く理解します。

今回は、うっかりしていましたが、

旅行の時は、ファッション性よりトイレにベストな服装で行くこと幼少期には日々意識していたことでもある)を再び心にしっかりメモ📝❕

 

~②へ続く

 

 

 

 

 

P子はこんな子:PUF60 related syndrome

P子が家にいると、必ず1時間に1回は、家族の誰かが「P子!」「早く!」「何してんの!」と強い口調の声を出します。

トイレやお風呂を長時間占有したり、使ったものを全てリビングに出しっぱなしにしていたり、出かける用意が一人だけ終わらず最後になってもまだ欲張って持ち物を増やそうとしたり、そういったことがきっかけなのですが…

 

境界知能で、ワーキングメモリーが特に低い(WISC‐Ⅳより)という特徴があるので、知能のせいにして、P子の問題行動を理解した気になることもありますが、

P子との日常生活はとても、それで済む話ではありません。

 

イギリスのUniqueという慈善団体(Rare Chromosome Disorder Support Group)が作成している

PUF60 related syndromeというリーフレットにも、学習面の問題と共に、「一部の子ども達には」という前提をつけつつ、行動面の問題が起こることについて述べられています。

例えば、「嚙みつきや頭をぶつけるなどの自傷行為」「かんしゃくや暴発」「未熟な行動」などです。

P子に、あてはまらない点もありますが、「かんしゃく」(例えば、ストレスがたまると、「私、イラついてるから!」と不機嫌さをまき散らす)、「未熟な行動」(全体的に幼い様子で、「中身は小学生だね」とよく言われている)と言えるようなところもあり、PUF60 related syndrome(診断名として確立していないので、P子は主治医より「PUF60 異常症」と名づけられています)から来るものなのかと思うこともあります。

 

親からすると、P子(16歳)といると、ある意味、妖精とかホビットとかと対しているような気分になります(笑顔が多くて、見た目もちょっとそんな感じ💦)。言葉は通じるし、注意すれば一般社会常識も理解しようとしてくれているけれど、とても強く独特の行動原理、時間感覚、世界観を持っているのです。

その全体像や生活感が伝わるように、行動上で困っていることや、特徴的に思えることを、思いつくままに挙げていきます。

・何かしていても、すぐにぼーっとしてしまう

・声かけされないと、自分のすべきことをすぐ忘れる

・プリント類をしわしわにならない状態で持ち帰ることができない

・不合理な場合でも、がんこに自分のやり方や順番にこだわってしまう

 

おしゃべりだけど、まとまっていないので、話の落ちが見えない

・説明が苦手なため、「話が長くなるよ」とよく言うが、聞くと長くない話

テンションが上がると、道路でも声が大きい

・映画館でドキドキする場面が苦手で、はおるものなど目隠しできるものを持参する

 

・意外と、真をついたことをたまに言う

・いいと思った人のことはやたらと褒める

人との距離が近い

・時々「P子に癒される」という大人が周りに発生する

 

・食べ方が上手にならず(食べ物が口からはみ出す)、洋服に汁汚れが付きやすい

・偏平足なのか、足音がバタバタ大きい

・足はとっても遅いけど、持久力は結構ある

・水泳はスイミングスクールに通い続けた結果、パワフルに4泳法できる

 

・イケメン好き

異世界、溺愛、転生系の小説をよく読んでいる

・今どきのBTSが好き、King of popsのMJも好き、お気に入りの曲はリピート再生を何十回もする

・出かけた先のトイレに行く時、「5分で出てね」と声かけをしないと、下手をすると同行者は20分待つことになってしまう

・家から出かける時はいつも、P子がなんか遅いので家族全員が外でイライラ待つ状況になる(繰り返し)

 

そんな娘P子と一緒に歩く時、なかなか自然な横並びにはなりません。基本的にP子は一定の速度で歩くことも、テンポを合わせることも苦手、合わせようと意識するとやたらと距離が近くなってぶつかります。結果、はぐれそうな時は手をつなぐか、「ちゃんとついてくるんだよ」と言って姿を確認しながら歩くか。

気を抜けない、そんなP子育ての旅の途中。

 

 

就業技術科の生徒、手帳が取りたい②

~①からの続き

本当は、P子が将来社会生活をなんとか送れるようにするため、あー言ったり、こーやったり、直接相手しながら日々考えたことを綴っていきたいのですが、

手帳取得のような、環境面の調整に追われる日々もまた、障がいのある子を持つ親の現実ですね。

 

さて、障害者雇用枠で就労するため必要な障害者手帳について補足しておきますと、P子が取ろうとした「療育手帳」の他に、「身体障害者手帳」「精神障害者保健福祉手帳」も、対象です。

P子は知的障害者特別支援学校・就業技術科の生徒なので、「精神障害者保健福祉手帳」はまだしも、「身体障害者手帳」はさすがに関係ないように思われますが、実際の生徒さんの中には、難病の遺伝子疾患や重複障害の方もいらっしゃるので、対象となる方もいらっしゃるかもしれません。

P子も、生まれつき右目が見えないというハンデがあるので念のため検討してみましたが、左目が一般的な視力を有しているため、視覚障害として、「身体障害者手帳」は取得できませんでした。

よって、

取得に向けて動くとすれば、①(再度)「療育手帳」 ②「精神障害者保健福祉手帳」となります。

 

同級生ママ友にも、「うちはIQが80あったので療育手帳は難しかったけれど、自閉症スペクトラム障害のほうで精神障害者保健福祉手帳を取得しているの。更新が2年に1回だから、大変だけど…」と教えてくれた方がいました。

その時は、(P子も、「療育手帳」を取れなかったら、手帳としては最終的にはこれなのかな)と思いながら聞いていました。

 

①は、また児童相談所に申込むだけ(かつ取得できる可能性も薄い)ですが、

②は、P子が「精神障害者福祉手帳」を取得できるのかどうか、精神科を受診して相談しなければなりません。

 

まずは、②に向けて動きました。

就業技術科受験の際に「医師診察記録」を書いてくれた児童精神科の先生には、小学校の時からとてもお世話になりましたが、対象が中学生までの専門外来なので、紹介状を書いもらい、転院することになりました。

もともと遺伝子疾患があったり、片目盲だったりするP子について、説明しやすい精神科がいいなあと思い、大学病院の遺伝子疾患の主治医の先生から院内紹介してもらった精神神経科を受診することにしました。

 

先日初診し、P子のこれまでの経緯や現況について相談した結果、

療育手帳は2回申請してみて取得できなかったのなら今後も難しいだろうこと、

精神障害者保健福祉手帳のほうは、継続受診してP子を診ながら、その上での判断とはなるけれど、境界知能+発達障害があるということで、取得可能だろうと教えてくださいました❕

 

手帳を受けるためには、初診日から6カ月以上経過していることが必要なのですが、高等部在学中には手帳取得が叶いそうです。

これで障害者雇用枠の企業就労に向けた現場実習に送り出せる形式が整う見込みが立ちました。後は、しっかり職業に関する専門教科を学習して、P子なりに社会を渡っていくスキルを高めていってほしいなと思います。

👏👏👏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

就業技術科の生徒、手帳が取りたい①

P子が通っている学校は、「知的障害特別支援学校高等部・就業技術科」で、

障害者雇用での企業就労を目指し、専門的職業教育を実施する学校です。

 

応募資格において、

「◆ 知的障害がある者」が第一の条件になっています。

出願の際、「知的障害の程度が証明できるもの(愛の手帳(療育手帳)の写しまたは医師診察記録)」の書類を提出しなければなりません。

 

しかし、P子は中3の時点で、療育手帳(東京都では「愛の手帳」という名称)は所持できていませんでした。


それまでに、医療機関等でWISC‐Ⅳを2回受けており、全検査IQは70後半~80前半という結果(ばらつきもありますが、それはまた別の機会に)。

知的障害であることが証明される療育手帳が交付されるには、

「基準としてIQがおおむね70以下(自治体によっては75以下)で、日常生活や社会生活に支障が出ている」ことが要件となってきます。

P子のIQ結果は微妙ですが、コンディションによりIQの数値など当然いくらか変動することを合わせて考えると、取得の可能性ありと思えます。

 

ただ、児童相談所で実施される検査は田中ビネー知能検査で、P子が受けたWISCではなく、また、田中ビネーのIQはWISCの全検査IQより数値的に10くらい高く出ることも多いため、生活の上で大いに困っていても、境界知能の子は普通にはじかれてしまいます。

実際、P子は児童相談所に2回判定(小6・中3の時)に行きましたが、交付の対象とはなりませんでした。

そこで、就業技術科を受験する際には、「知的障害の程度が証明できるもの(愛の手帳(療育手帳)の写しまたは医師診察記録)」の書類のうちの、

「医師診察記録」をかかりつけの医師(児童精神科)に書いてもらい、無事入学できたわけです。

 

しかし、障害者雇用枠での就労を目指すので、在学中になんらかの障害者手帳を取得しなければなりません。

入学してしばらく経ったころ、在学中に障害者手帳が取れず、企業就労できなかった先輩がいるという恐ろしい❕❕話をある先生からされ(何のためにがんばって就業技術科の入ったのか😢…となりますね)、P子母も手帳取得に向けて行動するようさり気なく促しがありました。

 

~②へ続きます

 

 

 

 

 

 

はじめまして。P子の母です。

 

初めての方に、うちの16歳の女の子(これからは、P子と呼びます💛)について、

まず、その障がいをどう紹介するのかいつも悩んでしまうのですが、

結局のところ、複数の症状を並べる形で伝えさせてもらいます。

 

先天的に片目が見えず(コロボーマによる)、

境界知能+発達障害

頸椎分節欠損あり・・・

 

そして、今はある都立特別支援学校高等部・就業技術科(障害者雇用枠での企業就労率100%を目指す、軽度知的障害向けの学校)の1年生です。

毎日1時間かけて、元気に通学しています。

 

P子を出産するまで、私は病院で臨床心理士の仕事をしていて、さまざまな精神疾患発達障害の大人や子どもに対して、心理検査やセラピーを通して関わっていましたが、

P子を育てるにあたって、それまでの対人援助の知識や経験はまあ通じませんでした…💦(あってよかった知識もありますが、それはまた別の話)

 

はっきり言って、P子が小さい頃は、

哺乳力が弱くて体重が増えない問題から始まり、

風邪をひくとすぐ肺炎に移行してしばしば入院になる、

なかなか歩こうとしないなど、

 

心身の発達面や、看病などの目の前の問題に終われ、どうしてそうなるのか分からず、ずーっと混乱している日々。

2歳で片目が見えていないことが分かって、はっきりした一つの障がいが宣告されても、いきなり奈落の底に落ちるような衝撃などは受けず、

(そういう問題があっても、分かる気がする、、片目が見えていてよかったよ)と醒めたように思ってしまうぐらいの、今思えば、変な精神状態でした。

 

・・・なんやかんやあって、

「未診断疾患」というものがあることを知り、遺伝子疾患専門の医師に繋がることができました(ちなみに難病「CHARGE症候群」は否定され、数年後「PUF60異常症」なる診断名に確定)。

また、P子も16歳になって、障がい全体の形が見えてきて将来への見通しも持てるようになってきて、

そりゃーまだまだ手助けしなきゃいけないことは沢山あるけれど、少しだけ振り返る余裕ができました。

また、今のP子の学校で、たくさんの同じような育児をしてきたママたちに出会えて、いろんなママたちのいろんな個性的な経験を聞かせてもらったり、

同時に、周りの育児経験と異質すぎて引かれてしまうのでは?と心配するあまり、リアルではなかなか話しづらかったP子のこれまでのことを、私もラフに話せるようになって、経験を言語化することが自分にとっての憩いの時間なんだーと感じるようになりました。

そこで、このblogを始めました。

精神的にも肉体的にもせわしない日々を送っていますので、気まぐれなペースになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします❕❕